ヒューマンホールディングス株式会社(1/4)~Professionals for Owners  オーナーを支えるプロフェッショナルたち〜

ヒューマンホールディングス株式会社(1/4)~Professionals for Owners オーナーを支えるプロフェッショナルたち〜

経済・ビジネス

追い風に乗って急成長するも、バブル崩壊で一転。
ピンチを乗り越えた先に待っていた言葉は・・・・・・

教育を中心に、人材、介護、保育、美容関連など幅広い分野で事業を展開しているヒューマンホールディングス株式会社。
グループ会社は12社に上り、売上高は750億円(2017年3月期連結)に迫る勢いです。
創業から現在に至るまでの波乱万丈のビジネスストーリーから、父であり創業者である佐藤耕一代表取締役会長との関係まで、佐藤朋也代表取締役社長に語っていただきました。

教育事業を中心に広くビジネスを展開されている御社ですが、どのような経緯で現在のモデルに行き着かれたのでしょうか。

代表取締役会長であり、私の父でもある佐藤耕一が、1985年(昭和60年)に大阪市内で創業した教育事業会社がはじまりです。
当初は職業訓練法人としてスタートしたのですが、職業訓練法人には厚生労働省による要件があり、できることが限られていたため、一般法人として社会人向けの専門校を創設しました。
これが、ヒューマンアカデミー株式会社の前身です。
教育に携わるなかで、授業をして卒業生を送り出して終わりだろうか、就職が決まるまでサポートして初めて教育サービスとして完結するのではないか、と考えるようになり、1988年に人材事業会社を設立しました。
ヒューマン・タッチ株式会社、現在のヒューマンリソシア株式会社です。

こうして社会人教育と人材派遣を中心に事業を展開していたのですが、当時は男女雇用機会均等法が施行されたばかりで、しかもバブルのまっただ中ということもあり、ビジネスは追い風でした。それまでは神戸・三ノ宮のビルの一室を事務所にしていたのが、一気に全国展開をすることになったのです。教育というのは基本的に授業料が先払いなので、資金繰りが良く、どんどん教室を出していきました。

波に乗り、絶好調だったわけですね。

それが、長くは続きませんでした。
バブル崩壊の影響を受けて、キャッシュがうまく回らなくなり、会社は苦境に立たされました。
そこで会長に、「おまえが経理をやれ」と言われて。
私自身は、大学卒業後に大手証券会社で働いた後、「会計の知識をつけて(親の会社に)戻ってこい」と言われて会計事務所で2年半ほど修行しました。
ですので会計の知識はあったのですが、私が担当するようになった頃には、すでに大変な状況になっていました。

幸い、バブル崩壊後もビジネス自体は順調で、1997年には海外事業を、1999年には介護事業をスタートさせました。
数年かかってキャッシュも回るようになり、安定して利益も出るようになりました。
経理面がようやく落ち着いたと思ったら、次は会長が「上場しよう」と言い出したんです。

聞き手:芦田 敏之(税理士法人ネイチャー国際資産税 代表)

To be continued…