日動画廊(1/4)〜Professionals for Owners  オーナーを支えるプロフェッショナルたち〜

日動画廊(1/4)〜Professionals for Owners オーナーを支えるプロフェッショナルたち〜

文化

創業90年。時代の、アートの変遷と共に、
大正・昭和・平成を生き抜くということ

洋画をはじめ国内外の一流の絵画・美術品を扱う日動画廊。
その歴史は、今から90年前まで遡ります。
洋画が日本人に浸透していなかった時代から、
二つの世界大戦を経て戦後の厳しい時代をも生き抜いてきた背景には、
創業者・長谷川仁の揺るぎない想いがありました。
日動画廊の過去、現在、そして未来について、専務取締役の長谷川暁子さんに伺いました。

日動画廊の歴史について教えてください。

私の祖父、長谷川仁が画商を始めたのが最初です。祖父はもとは牧師でした。洋画家だった友人の弟が絵が売れたからでその勧めもあり、「これからは洋風のものが流行るはずだ」と一念発起し、画商へと転身。風呂敷に絵を包み、田園調布の洋風のお宅を一軒一軒訪問して絵を売り歩きました。当時は洋画、つまり油絵は一般には知られておらず、「油売り」と間違われたのだそうです。

その後、銀座に画廊を持つようになり、当時は珍しかった洋画を扱う画廊として少しずつ知られるようになりました。そして、銀座を歩いていて、当時唯一の路面店だった銀座の店舗にふらりと現れたのが藤田嗣治です。祖父がもしやと思い声をかけたことをきっかけに、交流が始まりました。オープニングパーティーなどパリ流の画廊のもてなしを、祖父はフジタから学んだのです。

戦時中には上海にも店を持ち、将校などが多く訪れたそうです。また、戦後には銀座の店舗のすぐ近くに進駐軍の宿舎があり、そこに飾る絵を軍人が買いに来たこともあったのだとか…。こうして振り返ると、日動画廊は時代と共に歩んできたのだと改めて感じます。

父・徳七の代になってからは、1966年に新人発掘・育成の場として「昭和会展」という公募展を創設し、1972年には笠間日動美術館を設立しました。画商としての枠を超えて、アートの浸透や若手の育成といった業界の振興に取り組み始めたのがこの時期です。

さらに近年は、絵画のジャンルの境界が曖昧になりつつあることもあり、古典的な洋画に限らず、現代アートやコンテンポラリーの要素が強い作品も多く扱うようになっています。例えば、現在(取材時:2017年9月14日〜28日)東京本店で展示しているヴィック・ムニーズの作品は、広告紙や色紙などさまざまな素材を用いて歴史的な報道写真や美術史上の名作を再現したものを写真で発表する、という独自のスタイルのアートです。

では、「日動画廊」の名前はどこから来ているのでしょうか。

「日動画廊」の名前から、よく「(東京海上)日動火災保険」と関係があるのかと尋ねられるのですが、実はこれには古き良き時代のエピソードがあります。

画商を始めたものの当時はまだお金のなかった祖父に、日本動産火災保険(現在の東京海上日動火災保険)の当時の社長が、銀座にあった本社ビルの1階を画廊を開く場として提供してくれたのです。銀座の一等地ですから、賃料は相当高かったはずですが、社長は「家賃は売れたときに返してくれたらいい」と仰ったそうです。しかも、絵が売れないときには、上の階にある社長室からお客さんを連れて降りてきてくださったり…。恩義を感じたこともあって、日本動産火災保険から「日動画廊」と名付けたのです。このエピソードからも、人と人とのつながりの大切さを感じます。

聞き手:芦田 敏之(税理士法人ネイチャー国際資産税 代表)

To be continued…