ライク株式会社〜Professionals for Owners  オーナーを支えるプロフェッショナルたち〜

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ライフ

大学卒業後、地銀に3年半、旅行会社に4年
起業に向けて、着々と準備を進める

保育・人材・介護を中心に、広く事業を展開しているライク株式会社。
今やグループの従業員数が5,000名を超える規模となり、各業界において目覚ましい成長を遂げていますが、1993年の創業時は旅行業からのスタートでした。
どのような変遷を経て現在のビジネスモデルへと行き着いたのか、創業者である岡本泰彦代表取締役社長に、ご自身の半生を交えながら語っていただきました。

聞き手:芦田 敏之(税理士法人ネイチャー国際資産税 代表)

若くして起業された岡本社長ですが、どのような経緯でビジネスを始められたのでしょうか。


私は1985年に関西学院大学を卒業し、広島銀行に就職しました。
学生の頃から自分で事業をしたいと考えていたので就職活動はあまり熱心にはしなかったのですが、ありがたいことに数社から内定をいただきました。
広島銀行に決めたのは、地元だったから。
3年くらいはここで働いて親孝行をしようかな、くらいの気持ちでした。
ですから、就職面接でも、「自分でビジネスをやりたいので3年で辞めます」と伝えていたんです。
私は本気でしたが、相手は冗談だと思っていたようです。

結局、広島銀行では3年半お世話になりました。
辞めるときには、先輩や上司に必死で止められましたね。
辞めるなんて間違っている、もう人生終わるぞ、と。
メガバンクには及びませんが給料も良く、安定していて転勤もあまりない。
こんないい就職先ないぞ、というのもわかります。
でも、満足していなかったんです。
広島銀行に限らず、どこでサラリーマンをしていても物足りなかったと思います。
父親は祖父が創業した会社の二代目でいろいろと苦労もしていたので、広島銀行でサラリーマンを続けた方が楽じゃないか、と言っていましたが、母親は反対しませんでした。
一度きりの人生なんだから思うように生きたらいい、と言ってくれました。

広島銀行を辞めて、すぐに起業されたのですか。

いえ、学生時代にお世話になっていた小さな旅行会社に就職しました。
銀行にいたからといって何ができるようになったわけでもなかったので、独立する前に経理や経営を実務レベルで学ぼうと思ったんです。
旅行業を選んだのは、創業資金があまりいらないから。
独立しやすいビジネスだと考え、決めました。

その会社では4年あまり働きました。
最初は営業という名の使いっ走りから。
休日はほぼありませんでした。
いろいろやっているうちに入社1年弱で役員になって、財務などの管理系の仕事も任されるようになりました。
自分でビジネスを始めるいいタイミングだと思い、会社を辞めて起業しました。
1993年のことです。